AI作品が面白い

昨年から AI作画作品をかなり見てるんですが、人間に描けるようで微妙に描けない感じがとてもいい。

感情がないからこそ描ける絵があるし、書ける文章があると思う。

人間は伝達手段のために文字や絵を発明したけど、AI はそうではない。
AI は伝達手段のために自律的に絵を描く、文章を書くわけではなく、人間が指示して書かせている。

そういう意味では、AI は魔法的である。
人間がプロンプトというイメージを呪文として唱えてそれが具現化される。

AI がやっていることはものすごく単純なことの積み重ねなのだが、人間のそれより遥かに高速なので質的に影響を与え、人間も経験する「たまたま」を高速で出力する。
人間がたまに成功するのは稀にしかあり得ないが、コンピュータはたまたまを当てるための速度が違うので、それは既にたまたまではないのかもしれない。

人間はハズレを嫌がるので、質を上げるために練習をして、それでも習作習作を繰り返して質を上げていく。

AI にはハズレを嫌がる意味がない(というより当たり外れなどというのは人間の感性でしかないく AI にはそのような概念はない)ので、学習したパターンを高速に組み合わせて出力して、その出力した内容を学習してまた出力してを、人間よりはるかに高速に「偶然」いい作品を出力する。学習精度が上がればさらに高速に偶然「いい」作品を出力する。

時間というのは何人にも平等であり、それは生物であろうが無機物であろうが関係がなく、「高速である」ということはそれだけで「質に影響を与える」のである。人間がもし今の1000倍の速度で作業ができるようになれば、それは人間の形質そのものが変わっていると考えてもいいのと同じである。

AI が人間を超えるかなどという話に私は興味がないが、もしそれに関して興味が湧くとしたら、AI作品の評価を AI自身が行うようになって、人間のプロンプトなしに作品を作り出すことができるようになってからだろうと思う。

それは魔法が魔法使いの手を離れ精霊化するみたいな話なので、今の AI技術とは全く違うレイヤーの話になるだろう。

「今の AI なんて所詮人間の真似事なので人間には及ばない」というのは逆に人間の首を絞めるのであまり良くない指摘であると思う。

人間も真似事を飛び出して創作をしているのは、すべての人間の僅か1割程度でしかないと思うし、殆どの人間は他人の真似事をしており、そこに創作なんて一つもない。
だからこそ創作に価値があるのだし、芸術家には希少価値があるのである。

私は人間が創作する作品を尊重しているからこそ、AI作品も面白いと思うし、AI作品を利用して人間がさらに創作活動を向上できるような流れになってくれるといいと考えている。

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