白い部屋

文字数:6,599字 関連ワード:BLではないかもしれない 四肢切断 拉致 拡張 監禁 純愛 青年


 ここ数日、誰かの視線を感じる―――。仕事場の中で、自宅の窓の外から、街中でふとした瞬間に。
 考えすぎだろう。最近は仕事も忙しいし疲れているのだろう、そう自分に言い聞かせた。
 人間は本能を理性で抑え込み、予知や不安感といったものを気のせいと済ませてしまう。目の前に危険が訪れない限り。日常生活を平穏に過ごすために。
 明日の予定、来月の予定、来年の予定、十年後の予定。予定通りに進むことを漠然とよしとしている。予期しないことがあったとしても今までの経験が邪魔をする。判断を先延ばしにしようとする。それは仕方のないことだと思っていた。

『今日もかなり遅くなりそう。週末しか無理そう。ゴメン。』
 まだ、人がまばらに残っているオフィスで携帯電話からメールを送る。相手はもう三年のつきあいになる婚約者だ。毎週末には結婚式の準備や新居探しで忙しい分、平日に仕事をすべて片づけてしまわなければならない。
 合格率十パーセント台の一級建築士の難関をパスし、仕事の内容も以前に増して充実している。充実とともに仕事量が増え、一日にできる仕事量には限界があるので必然的に残業することになる。いずれは独立し、自分の家はもちろん設計したいし、意匠系の建築士として子どもの頃に夢見た建築物を設計してみたいという目標に一歩でも近づくため、今の仕事をいい加減にすることはできない。
 机上の携帯電話に着メールを示すLEDが点滅する。
『いいのいいの。こっちは仕事とっくに終わって友だちと飲んでまーす。土曜日の時間は変更なしで。よろしく(^o^)q』
 写メで飲み会の様子が写っている調子のいいメールが返ってくる。
『了解。土曜日は時間どおりに迎えに行くから』
 メールに返信すると、今日の仕事に目処をつけ、ようやく目の前のパソコンの電源を落とす。オフィス内にはまだ数人残っている。
「お先です」
 オフィス内の一番広い作業テーブルに図面を広げて唸っている先輩に声をかける。
「おー、お疲れ。あんまり根をつめるなよ」
「先輩こそ」
 これが、普通の人と声を交わした最後になるとはこの時は思いもしなかった。

 仕事帰りの裏路地。突然身体に衝撃が走ったと同時に気を失い、気がつくと見覚えのない部屋にいた。
 まったく状況がわからない。さっきまで仕事をして、電車に乗って、帰り際に少し買い物をして……。もう少しで家に着くところまでで記憶が途切れている。
 体を動かそうとしてもうまく動かない。金縛りかと顔を動かし自分の身体を見ると、全裸で寝かされているようだ。手足が動かないのはなぜだろうか。もしかして夢なのかと思い、何度か目をつぶってみたが情景は変わらず、身体が自分のものではないように動かない。
 周りを見渡すと、真っ白の壁にドアと大きなテラスへ続く扉があるだけだった。シーツが下に布かれてはいたが、何もない部屋だ。天井は間接照明になっている。空調が効いているのだろう暑くも寒くもない。その空調も一見わからないようにビルトインされているようだ。かなり高価な作りである事はわかる。テラスの向こうには緑と山々が見えるが、まったく見覚えのない場所だ。

「……………………………………………………」
 どれくらい茫然自失していたのか、ドアの向こうから響く足音で意識を取り戻す。程なくしてドアが開き男が入ってきた。
 まったく見覚えのない男だったが、顔だちの整ったの優男―――、こんな状況でなければ愛想のいいあいさつのひとつもできただろうが何もできず漠然と眺めた。
「奥富和作(かずなり)さん」
 男の第一声は俺の名前だった。
「お前は誰だ。なぜ俺の名前を知ってる。それよりもここはどこだ。俺はどうなってるんだ」
「僕に興味をもっていただけるんですか。うれしいな」
 男は張り付いたような微笑みを浮かべ、的外れなことをいいながら俺の身体をなでる。その感触に嫌悪を覚えて睨みつけた。
「触るな」
「そういう表情(かお)も堪らないですね。僕は青(あお)晴(せい)って言います。晴って呼んでください」
「俺はどうなっているんだ」
 青と名乗る奴の言葉を無視し、呟くように吐き捨てる。
「これから、僕のものになってもらおうと思っています。苦痛は感じさせないようにしますから安心してください」
 そういうと男は俺の口に何かを覆ってきたと思った瞬間にまた暗闇に覆われた。

 これは夢なのか、と思った。あまりにも現実感がない。
 現実感のない言葉、通じない会話。意味のわからない白い部屋―――。

 変な男に会った夢を見たと思い目が覚めた。
 だが、そこは変わらず白い部屋。
 相変わらず体を動かそうとしてもうまく動かない。首をひねって動かすと今度は右腕以外の肢体がなくなっていた。
「……………………………………………………」
 冷静に自分の身体を見ることができない。左腕は二の腕から先がなく、両腕も股から下がない。
 自分で自分の見ているものが信じられず、何がどうなっているのかわけのわからないまま、残った右腕で体を支えながら起き上がり自分の体を見渡す。
 全裸であることは変わりがないが、手足を動かそうにもあるはずの手足はなく、右腕を動かして左腕を触ろうとするがそこには本来あるはずの腕はなく、二の腕と両脚には包帯が巻かれている。

 ドアの向こうから響く足音、ドアが開き男が入ってきた。悪夢の繰り返しだ。
「ああ…思った通り、美しいです」
 男は恍惚とした顔で言い放った。
「切り取った手足はキレイに保管していますから…。……後で見ますか?」
「俺……をこんなにしたのはお前か!」
「そうです」
 何の躊躇もなく笑顔で答える男に得体の知れない寒気を覚える。
「でも、お前ではなく、晴と呼んでください」
 男は俺に近づきながら恍惚として口を開いた。
「何勝手なこと……!」
 激昂した俺は奴に思わず掴み掛かろうとしたが、踏み込むための足はなくバランスを崩し倒れ込みそうになるところをとっさにかがみ込んだ奴に支えられる。触れられた手が妙に冷たい。コイツに体温はあるのか?
「暴れたら危ないですよ。あなたに苦痛を与えるのは本意ではないんです」
 こいつの言葉に頭がおかしくなりそうだ。突然意識を奪われ、気づけば手足はなく、ここがどこなのかもわからず、夢であってくれと何度も目を閉じるが景色は変わらず、これ以上はないというほどの屈辱を受けながら、本意ではないなどと、奴はおかしなことばかりを口走る―――。
「俺をどうするつもりだ…」
 力なく呟く。
「―――ずっと探してました。この部屋に似合う彫像(トルソ)を。僕だけを必要としてくれる美しい人を。……やっと見つけました。強引に事を運んだことは謝ります。……けど、もう仕方ないですよね」
 言葉が通じない宇宙人と話しているような感覚。何を言ってもこいつには通じないのだろうという絶望感……。
「ここはどこだ」
「秘密です。場所を知ったところであなたはどこにも行くことはできませんよ」
 口調は変わらず平坦だが、聞き分けのない子供に対するそれのようになっている。
 体温のないようなこいつの手はさっきから俺の身体を支えるように触れて、俺の体温を奪っていく。
「触るな」
 精一杯の気力を込めて言い放つ。
「ふふ…。綺麗な筋肉ですね。早く完璧な造形に仕上げたいな」
 俺の言葉を聞く事なく、奴は俺の身体に尚も触れてくる。その手は色を帯び、明らかな意図を持って胸、腹を経てさらにその下に触れてくる。
「触るなと言ってるだろう。これ以上どうする気だ」
 これ以上はないというような狂人にこれ以上はないというくらいの拘束を受け、訳のわからない言葉を聞かされて、体温が急激に下がっていく気がした。
「ここにアクアミドと人口海綿体を注入して、理想の巨大ペニスにするんです。後は……髪形ももう少し透かしを入れて、あとカラーも入れて重くない感じにしたいですね」
「……なんだ、それは……」
 人生の中で聞かなくてもいい言葉を一気に聞かされた気分だ。想像もできない言葉を次々に吐かれ絶句する。
「大丈夫です。じっくり時間をかけますから。右腕もバランスが悪いようであれば切り落としますよ?」
 普通に見れば爽やかな笑顔で、恐ろしいことを言ってのける男。
 それは、俺の怒りや恐怖という感情を無力にするだけの圧倒的な力量をもって襲いかかってくる。
「必要なものがあれば用意しますから云ってください」
「家に帰せ」
「その身体で家に帰ったところで何ができますか? そういえば、婚約者がいらっしゃいましたね」
 そうだ、コイツは会ったこともないのに俺の名前を知っていた。どこまで俺のことを知っているんだ。
「……帰せ」
「安心してください。和作さん。貴方は世間的には交通事故で亡くなったということになってますから」
「なん、だと…」
「もう葬儀も済んでいるかもしれませんね。だから帰りたいなんて言わずに安心してここに居てください」
 次々と意味のわからない言葉が耳朶を掻き乱す。コイツは頭がどうかしている。そうでなければこんなことを言えるはずがない。安心だと。亡くなっただと。冗談じゃねぇ。もう言葉も出ず、コイツを睨みつけることしかできない。
「貴方を帰す以外であれば、なんでも用意します。どこにでもお連れしますよ。但し一人でではなく、僕とですが」
 なんだそれは。なんだそれは。なんだそれは。意味がわからない。どうすればいい。逃げ出したい。これは何かの夢だ。悪夢だ。現実であるはずがない。こんな酔狂なことがあってたまるか。
「いい加減にしろ」
 奴の胸ぐらを掴んで叫ぶ。
「それ以上何も言うな。ぶっ殺すぞ」
 何も考えられなくなり、この行き場のない憤りをぶつける。
「いいですね。貴方に殺されるなら本望ですが、その身体ではどうしようもないでしょう」
 冷たい手が俺の右手を制止し、俺の片腕だけの力では敵わないことを思い知らさせる。
「畜生」 吐き捨てるように言う。
「とりあえず服をくれ。落ち着かない」
 声に力がなくなってきているのが自分でもわかる。
「服……ですか? こんな綺麗な身体を布で隠すのはもったいないのに……」
「落ち着かない」 もう一度言う。
「わかりました。少しだけ待っていてください」
 そういうと奴は物音もなくすっと立ち上がり部屋を出て行った。
 奴が出て行くと、空調の音と、自然の静寂が俺に少しばかりの落ち着きを取り戻してくれる。
 普通に仕事をして、飯を食べ、人と話すということが随分昔のことに感じられる。
 訳がわからないまま、拉致され、手足を落とされ、監禁されている。これは紛れもない事実らしい。そんな自分の運命を呪いたくなる。そうか……「運命」か…。「いや、そうじゃねぇだろ」とその言葉に納得しかける自分にまだ叱責できる自分に安心した。
 事実を事実のまま理解しようとすると、どこかが壊れてしまいそうだ。
 絶望といってもいいそれから何とか逃れるように。今ある状況を真剣に考えないように、そのように心というのは働くのかもしれない。

 それから、奴は一日の殆どをここで過ごしていた。俺は自分で動くことは出来ず、何もできないのだから当然なのかもしれないが、食事もその他、大の男が他人任せにしないであろう事まで、奴は黙々とあの微笑を張りつかせながら嬉しそうに行う。
 徐々にこの異常な事態に馴れ始めている自分にさえ、不安を抱かないほど、本当に、そうであることが当たり前であるようにそうされているうちに、奴に対する怒りがなくなっていることに愕然とする。コイツは表面は普通を装っているが、俺をこんなにした狂人だ。そう思うが、人は怒りというものを何のエネルギーもなしに燃焼させ続けることは難しい。

 自分一人でできることといえば飯を食うことくらいだ。
 初めは奴の出してくる飯に手を付けることに抵抗を感じ、これだけが唯一の抵抗手段であるかのように、自然とハンガーストライキのようになっていた。
「食事、今日も食べないのですか? 手が使いにくいのでしたらお手伝いしますよ」
「……」
 俺は無駄な抵抗をする力を無くす代わりに沈黙をするようになった。
「お好みの食事だと思うのですが…」
 奴はいたって普通に残念そうな顔をする。その残念そうな顔があまりにも普通すぎて俺の中の何かが変わり始めるのを感じる。
 俺が黙っていると、奴は俺の手元の箸を取ると、俺の好きなおかずを取り、こちらに差し出す。
「食べないと身体を壊します。それは私の本意ではありません。あなたには何でもしたいんです」
 奴の言っていることと、この俺の置かれている状況のコントラストは、客観的にみれば喜劇もいいところだろう。
 俺の生存は今や奴に委ねられている。このような状況下でいつまでも沈黙を守り続けるには相手が敵対しているか、生理的に馴染まないか、経済的に逼迫しているかのどれかくらいしかないであろう。
「自分で食うから箸を貸せ」
 そう言わざるを得ないような状況なのだと自分に言い聞かせた。

「そろそろかな…」
 奴が俺を風呂に入れ、俺の身体を洗いながら云う。
「何がだ」
 俺は奴に身体を任せた形で目の前にある鏡越しに奴へ視線を送る。
「和作さんの身体をさらに芸術的に昇華させるんです」
「これ以上のことか…」
 これ以上のことなんかあるというのか。コイツにはコイツの理論があって、これ以上があるのだろう。この身体ではなにもできない。諦めたようにため息を付くと、「痛くはしないから」と相変わらず奴は的外れのことを言う。

 いつの日かのリフレインの様にふと目が覚めた。
 ただ違うのはもう見慣れてしまった奴の顔がある。あれから何日が経ったのだろう。
「すばらしいよ」
 奴は俺と目線が合うとそう言った。
「何がだ…」
 俺は自分の身体を見た。もう言葉もない。
「和作さん。それを手で持ち上げてみて」
 もうすでに抵抗する意志もよりも呆然と目の前の光景を眺めるしかできない。ガラス越しでの出来事のようだ。右手で腕ほどあろうかという巨大なペニスを持ち上げる。どう手を施したらこんな風になるのか恐ろしくてとても訊くことができない。
「完璧な美しさだよ」
 奴は少し興奮気味に言いながら近づいてくる。
 そして、俺が持ち上げたそれを触りだす。ただ成すが侭だ。
「すごい…固くなってきた」
 両手で抱えても余るそれを丁寧な手つきで滑らせると、どうしようもなく反応してしまう。
「う…」
 どうしても出てしまう嬌声に羞恥を覚え、「さわ…るな」と思ったよりも弱々しい声で掛けられた奴の手を右手で制止するが、あまりの感覚に力が入らない。全身が性感帯になったような感覚。今までの少なくはないセックスの経験からはこんな強烈な感覚はなかった。
「濡れてきた…」
 奴はいつもよりも高ぶった声色でささやく。その通りカウパー氏腺が尿道口から漏れだしていた。奴はさらに先端へと指を這わせ、もう片方の手でペニスと同様大きく膨れ上がった陰嚢にもそっと触れる。
 完全に勃起したペニスの大きさに奴は恍惚とした表情(かお)を近づけ、とうとう舌を使って舐め始めた。とても口に入るサイズではないため、ソフトクリームの先端を舐めとるような舌の動きで雁首を責めたてる。
「うっ、あ…。や、め……」
 もうため息とも呻きとも付かない言葉が口から出るだけだ。
「感じてくれているんですね。うれしいな」
 感じる…そんな言葉は奴との間には断じてないと言いたいが、手の動きが更に増し、射精感が迫ってくる。水音が辺りの空気を濡らすかのように立ち込める。
「あ、あ、あ、出っ」
 何度目かの張りつめた射精感に耐えきれず、張りつまったペニスから白濁した液が多量に溢れ出す。奴は顔も手も離すことなくシャワーのように溢れ出す精液を浴びていた。
「暖っかい」
 奴は満足げに多量に顔かかった液を舐めとり、まだ余韻に震えているペニスに抱きつくようにして微笑んでいた。

 俺は壮絶な解放感の余韻に疲れ果て朦朧としていた。
 しばらく余韻に浸っていた奴は俺の身体を濡れたタオルで拭き、散らばった液を掃除すると、
「シャワー浴びる?」
 と訊いてきた。だが、今の俺にシャワーを浴びる余裕はない。意識を今にも手放し、眠ってしまいたかった。
 緩く首を振ると、「わかった」と短く返事をして出ていってしまった。
 これからのこと、奴のこと、今は考えられない。こんな事が続いたら、俺も狂ってしまうだろう。いや、もうもしかしたら……。
 でも今は考えることを放棄して、眠りについてしまいたい。次に目覚めたときあいつはなんと言うだろうか。


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