時計屋

文字数:4,334字 関連ワード:幻想 時間 禅問答


 薄暗い商店街。もしかしたら、ゴーストタウンかもしれない。
 その中にほの明るく電気が漏れている店がある。

 『時計屋』―――看板にはそう書かれていた。

「そのまんまやないか」―――独りでツッコミを入れた。
 骨董屋か?―――と見間違うような古風なショーウィンドウとドア。
 アールヌーヴォーを意識したのかしていないのかわからないような佇まい。
 ショーウィンドウには様々な時計が様々な時間を刻んでいる。

 ―――時を刻む―――そう独りで反芻してみた。
 …時は刻むものなのか…

 暫くの間、まじまじとショウウィンドウを眺めていると、店主と思しき男が、作り笑いを浮かべて店先に出てきた。
「どのような時計がお望みですか?」
「いろいろ時計があるけど、どれも違う時間やな。全部狂ってるの?」
 大抵何処の時計屋でも時計は正確な時間を示していない。はっきり云って嫌味な質問だ。
「いえいえ。ここの時計は一つとなく狂っている時計なぞありませんよ」
 おやじは気を悪くした様子もなく俺の顔を見ながら笑んだ。
 俺が困惑した表情(かお)をしていると、
「時計の指し示す時間は、それが正しいのです。後はどれを選ぶか、それだけです―――」
 と云って、おやじはズボンのポケットから懐中時計を取り出し、
「―――私のは六時二十分を差しておりますな」
 変なことを云うおやじだ。
「そういえば、デジタル時計が見あたらない。腕時計も全部アナログだ」
「それは時計の信念ですな。―――時間は連続ですからな…」
 どうもこのおやじとは話がつながらない。禅問答をしているようだ。
 しかし、然と眺めてみると思いのほかもの珍しい時計が置いてあることに気づく。
「ほう、それに興味がありますかね」
「一見懐中時計に見えるけど、どうも変やな、針がないのに時間を指してる」
 その時計には針がない。光の線がゆらゆらと揺らめきながらゆっくりと二十四等分の円弧を回っている。
「その時計は特に時間(とき)の性質に重きを置いた計りでしてな…―――まぁ、便宜的な表現ですが…時は見えるものではありませんのでな」
 時は目に見えるものではない。しかし、現象として現れる…そういうこと…か?
「私は時計屋をやってもう結構長いですが、不思議に思うときがあるんですよ。円になればなるほど点が多くなる現象や、なぜ二十三時間五十六分四秒で地球の自転が行われるのか…、」
 おやじは一通り話し終わると、
「お暇でしたら、是非お茶でもいかがですかな?」
 俺は、暇とか暇じゃないとか、そういう時間の扱いのある生き方をしていない。時間というのは連続であるからこそ意味を成すものだ。などと、頭の中で考えていたが、俺は「ええ」と頷いていた。


 少し薄暗くなった店内には所狭しと時計が並べられている。―――これだけ時計があると少し気味が悪い。
「紅茶でいいですかな」
「ええ」
 俺が頷くと、おやじは店の奥に入っていった。
 時間は俺が時計を見ていないときも進み続ける。それも同じようにだ―――。驚くべきことだ。
 だが人間が時間(とき)を意識するのは、その時だけでその時以外は時間(とき)など意識していない。
 四方が時計に囲まれた部屋。あのおやじは一日中この中にいて平気なのだろうか。俺がそんなことを思う義理はないが…。
 部屋の真ん中に丸テーブルと椅子が四脚。少し薄暗い気味の白熱球がテーブルの真上から下がっている。雰囲気自体は嫌いではない。寧ろ(むしろ)懐かしさに近い感情すら涌いてくる。
 しばらくすると、紅茶のいい匂いがしておやじが奥から戻ってきた。
「さあどうぞ」
 おやじは嬉しそうに、ティーカップとティーポット、籐でできたバスケットをテーブルの上に置く。店の雰囲気と、紅茶の気品とが無理なく交わるようなカップだった。
 バスケットの中には濃緑色の銀紙に包まれた卵形のほんのり甘い香りがするものが入っている。
「これは?」
 俺はバスケットの中の物を一つ手に取り訊く。
「所謂クッキーです。どうぞ召し上がってください」
 俺は一応頷くと、遠慮なくその包み紙を開けた。
 卵色の卵形のクッキーはクッキーではなく小さい卵そのもののようだ。
 手にとった一つを口の中にほうり込む。
 表面はビスケット状のもので覆われているが、中はグミのようにフニフニしていて柔らかい。いい歯ごたえだ。味は如何とも形容し難いが、敢えて例えるなら林檎と蜜柑を混ぜたような、どちらかといえば柑橘系の味だろうか。
「おいしい」
「そういって頂けて光栄です。それは「時」の有効抽出物を染み込ませたクッキーでしてな。おいしいと感じてくださるのは、今の時間を「おいしい」と感じているからなのですよ」

「ごめんくださいよ」
 感心して、紅茶をすすっていると、玄関が軋みながら開き、一人の杖をついた男が入ってきた。年の頃なら七十前後。黒眼鏡が印象的な恰幅のいい男だ。禿上がった頭が眼鏡と妙に合っている。
「お、今日は先客が居はりますな。これは珍しい」
 そういって男はこちらへ向かってくる。見た目の割に威勢のいい口調だ。
「山根さん。ようこそおいでくださいました。暫く御無沙汰でしたが」
 男―――山根はこちらを向いて軽く礼をした。俺も空かさず礼をする。
「いやいや、ちょいと雪国に温泉旅をしてましてな、よっこらしょっと」
 声を出しながら俺の向かい側の椅子に腰掛ける。
「それはそれは、優雅なことで…、ちょっと失礼。お茶を用意しますから」
 そういっておやじは再び店の奥へ入っていった。
「すみませんな」
 山根は、浴衣の袖から煙草を取り出し一服する。銘柄のよくわからないその煙草は、薄紫色の煙を燻らせる。
「…ここの時計は中々でしょう…」
「ああ、そうみたいですね。見たことのない時計ばかりだ」
「何か、御眼鏡にかなうものはありましたかな」
 俺はさっき見た、針のない、光の線がゆらゆらと揺らめきながらゆっくりと二十四等分の円弧を回っている時計を思い浮かべた。
「…ありましたよ。玄関先にあった針のない時計」
 山根は穏やかな顔で煙草を燻らしながら、袂から懐中時計を取り出した。
「これなどどうですかな…。これも元はここのものですが…」
「ほう。これも二十四の刻ですね」
「時計は二十四の時を刻むのが本当なのです。十二を二回廻る…。昼と夜という考え方に基づいているのだろうが、…現象上、時は連続しているべきであると私は思っているのだがね」
「俺もそう思います。昼の十二時と夜の十二時を同価と見なすのはどう考えてもおかしい。違う時間ですよね」
 俺は思ったままを口にする。
「なかなか見る眼がおありですな、えー…」
「大元です」
「大元さん。―――そうなのだ。昼働いて、夜眠るという輪廻は同価でないことの証左であるとも云える」
「その反対もありますが…」
 山根は煙草を灰皿でもみ消すと、次の煙草を懐から取り出し火を点け、紫煙を一吹かしする。
「ところで大本さんは、こんな話を知ってますかな?」
 といい、山根はこんなことを言い出した。
『どんなものでも、食べつくす、
 鳥も、獣も、木も草も。
 鉄も、巌も、かみくだき、
 勇士を殺し、町をほろぼし、
 高い山さえ、ちりとなす。』
「―――これは、さる有名な物語の中のなぞなぞです。それは一体なんだと思います?」
 これは何処かで聞き覚えのある片言だった。どこかの怪物だろうか、それとももっと抽象的なものだったろうか。
 暫くして、山根は答を告げる。
「答は…時間です」
「あっ、そうか。思い出した。子どもの頃に読んだっきりだから忘れてましたよ」
「なかなかよくできたなぞなぞだと思いませんか? その物語では、『時間、もっと考える時間をくれ』と解答者が言って正解になるところが興味深いですが」
 山根はバカにする風でもなく軽く笑いながす。
「物凄くスケールが大きいなぞなぞですね。高い山が塵になるなんて、どれだけ長い時間を必要とするのか実感として涌きませんよ」
「作中ではこれはなぞなぞとして登場しますが、単独の詩編と考えても十分通用すると思いませんかな」
「…と、いいますと」
「どんなものでも時間には逆らえない、というのは、ある意味で詩のアンチテーゼなのですよ」
 いつのまにか、山根の前にティーカップが置かれていた。話に夢中で気づかなかったが、おやじは席に掛けて頷きながら話を聞いていた。
「アンチテーゼということは、詩は時間に逆らえるということですか?」
 山根は紅茶の香りを嗅ぐ動作をしてから、一口すする。
「そう言えば或る作家が『詩は時間に垂直に立っている』といったそうですが、それは言い換えると、詩は時間のアンチテーゼであると云っているようなものかもしれませんな。時間は妄想でも観念理論でもなく厳として現実に存在するものですから、『逆らえる』という表現はあまり適切ではありません。図式的な云い方をすると、『定立(テーゼ)・時間』に対しその(自己)否定たる『反立(アンチテーゼ)・詩』があり、この否定・矛盾を通して更に高い立場たる『総合(ジンテーゼ)・宇宙』に至るということがいえると思いますが如何ですかな」
「詰まる所、時間は宇宙であるとも謂えるのかな」
 俺は思ったまま口にしてみた。
「時間のないところに宇宙がないと仮定できればそう云えるかもしれませんな」
「少なくとも人間がいるところには時間がありそうだと感覚的には思えますけどね」
「私もそう思います」
 山根は笑みを浮べた。


「…なるほど。それもなかなか面白い発想ですね。宇宙の方がメタになるのか…、なるほど…」
 山根と俺は話が弾んでいた。まるで、十年会っていなかった友人との再会を楽しむように。
「無駄な時間…ですね。そういうのって」
「面白いものは、即ち無駄ですよ」
 山根は笑いながらも真面目な口調で答える。
「無駄な時間に正直であること…無駄な時間を有効にすること…」
「……それは時計屋としての私の役目ですね」
 ずっと黙って聞いていたおやじげがそっと口を開いた。
「時間は概念ではないですからな。変化する理(ことわり)をもって時とする。だから、時計が存在する―――。いや、実のところ逆かもしれませんがね」

「ずっとここに居たい気もするけど、そうも言っていられない。ご主人。玄関先にあった針のない時計、あれはお幾らですか?」
「それをご入り用ですか。正価で十二万三千円ですが、あいにくこれは展示商品でして、お客様にお売りするには特殊な下ろしを使うて…結構日にちがかかりますな」
「どれくらいですか?」
「そうですなぁ、七、八日あれば大丈夫やと思いますが」
「それじゃぁ、それを下さい」
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそごちそうさまでした。またそれくらいに寄せてもらいます」
「お待ちしております」
 軒先まで送り出され、言葉を交わし時計屋を後にする。

 時間の値段か……そう思いながら。


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