こんなことって

文字数:15,953字 関連ワード:HL 体育祭 短編家 運動会 高校生


 さわやかな秋晴れの日。俺はとても憂鬱だ。
 この憂鬱という文字を百回書き取れと、もし言われたらと考えたときと同じくらい気分が重い。

 体育祭の日だ。

 何度、台風が来てくれと願ったことか。何度、グラウンドにだけ隕石が落下しないかと願ったことか。
 しかし、その願いは届くことはなく、雲一つない快晴で、体育祭の開催に何の支障もなさそうだ。

 いっその事、滝にでも打たれて風邪を引いて休んでしまおうかと思ったが、風邪は風邪で苦しい。体育祭への不参加と引き換えにするべきほどのことかと思いとどまった。第一、近くに滝などはない。

 最終手段としては仮病を使っての自主休学、所謂サボりだが、普段優等生で通っている俺が休んでしまうと、後日、根掘り葉掘り色々と尋ねられ、ありもしない嘘を付かなければならない。これも本意ではない。
 この、根掘り葉掘り訊かれるのが教師であればのらりくらりと捌く自信があるが、何故か拡声器並みの伝播力を持つ女子生徒や発言力の強い男子生徒だったりするするのもだから質が悪い。曖昧に答えるとありもしない噂を立てられる。

 だいたい、オリンピックでもないのに、体育という名の許にこんな行事が行われることが恐ろしい。年若い人間を一様にしてしまうこのような教育のありかたはどうなのかと憤懣やる方ない思いだ。
 一日であれだけの競技数を行うには過密なスケジュール管理を行わなければならず、安全性と効率を両立しようとする日本の悪癖がここにも出ているような気がする。このような行事を通じて、あのような人権を無視した公共交通機関の劣悪な環境が成り立っているのだとしたら、日本人は病気だと思う。

「和也~。もう起きる時間よ」
 などと栓もないことを考えていたら、部屋先から母の声が聞こえてきた。だが、梃子でも動きたくない心情が働く。だからと言って、このままここで憂鬱を続けているわけにもいかない。
 仕方がないと、いつもより身動き遅く、ブレザーへと着替え、家族が揃うダイニングキッチンへと足を運んだ。
 気分は晴れないのに腹は減る。トーストと目玉焼き、サラダで朝食を摂り、諦め加減で家を出た。
 学校への道のりは歩いて二十分程。爽やかな秋の風を感じながらの登校は本来であれば穏やかな気分になるはずだ。
 しかし、風景というのは主観的なものだ。校門をくぐり、校内へ向かう足どりは重い。

「ニカちゃん。おはよう」
「おはよう、和」
 教室に入ると、クラスメートに声をかけられる。ちなみに「ニカ」とは、大谷和也《おおたにかずや》の「に」と「か」をつなげただけ。殆どの女子にちゃん付けで呼ばれるという、この年になってそれってどうよと思うがあだ名を指定するのは困難だ。
「おはよう」
 ため息をつきながらこっちもあいさつを返す。
「なんだ、朝からため息かよ」
「今日は悪夢の日だからな……」
「なんだよ。大げさだな」
「大げさじゃねえよ。なんで俺が……」
「まぁだ言ってんのかよ。決まったことをぐじぐじ言わない。いいじゃん貴重な体験だって」

 ぐじぐじと言いたくて言っているわけじゃない。これには経緯があるのだ。

 ことは一カ月前に遡る。



 ホームルームで体育祭の種目についての話し合いがもたれていた。

「次は女装百メートルの出場者についてです」
 級長が淡々と議題を進めていく中、俺は戦々恐々としていた。
 「女装百メートル」とは「助走」の言い間違いでも、「除草」でもなく、書いて字のごとく男子が女の格好をして百メートルを走るという、まことに見目麗しくない競技である。こんなものが恒例になっている当たりにこの学校の行事に対する悪ノリ具合がわかるというものだ。毎年異様に盛り上がる。
 反対に男装百メートルもあるのだが、こちらは見目麗しくて、男女ともに人気がある。

「希望者もしくは推薦者があればお願いします」
 言うが早いか女子が手を挙げる。
「はい! ニカちゃんがいいと思います」
「いいね。賛成」
「ニカちゃんだと盛り上がっていいね」
 それに、何人かの女子と男子が賛同する。
 Facebook のいいね!や Twitter のリツイート並みの気軽さだ。
 そして俺の方に視線が集まる。
「大谷君に推薦がありましたが……」
 級長が取り仕切る。中立に見える級長の宮内も恐らく賛成派だ。顔が笑っている。
 この場をどう切る抜けるか。こういう悪ノリに迎合する輩の攻撃をかわすのは非常に困難であるということは理解している。何せ理屈が通用しない。無理ゲーと同じだ。
「いや……俺は……」
「やってよ。ノリでこういうのが好きな人ばっかりじゃ面白くないし、その顔は生かさなきゃ」
 そう声をかけて来たのは左隣の席に座る、藤澤明里《あかり》。卑怯である。俺は藤澤に恋心を抱いているのだ。
「でも……女のカッコが似合ったって……」
 かわいいよりもカッコいいと言われたいが、それが難しいのは自分でも理解しているので控えめに言った。
「そんなことないよ。特技はどんなものでも特技よ」
 何だか答えになってないような気がしたが、そんなこと藤澤に言えるはずもない。そもそもそれは特技なのか。
「そうだそうだ」
「ニカやれー」
 などと適当な言葉が飛び交い、それで手締め的な空気が流れる。
「ということで、大谷君に……」
「おい! やるなんて言ってないだろ」
 宮内の仕切りに反論する。
「それでは多数決をとります。大谷君がこの競技にふさわしいと思う人は挙手をお願いします」
 俺の言葉に耳を貸すつもりはないのか、宮内は仕切りを続行する。もちろんこんな問いへの反応などわかりきっている。クラス中ほとんどのやつらが手を挙げていた。
 ここで意地を張って主張を通しても、あとのことを考えると得策とも思えなかった俺は折れてしまった。ここで自分の意地を通せるやつはすごいと思う。
「わかったよ、やればいいんだろ、やれば」
 投げやりに言い放つ。女子は何やら盛り上がっていた。

 そのあとも大変だった。
「ニカちゃんは何が似合うかな? やっぱりセーラー服かなぁ、それともゴスとか?」
「セーラー服いいね。私の友だちに館女《かんじょ》に通ってる子がいるから、交渉してみようか? あそこの制服かわいいもん。お下がりをサイズ調整すれば……」
 館女とはわりと近くにある、修學館女子学院という伝統と格式あふれる女子校のことだ。
「ニカちゃん、何か希望ある?」
「ある訳ないだろ」
 俺が不満を隠しもせず答えてもまったく気にしない。
「それじゃ、私たちに任せてね。優勝目指すから」
 俺の意志などとはまったく関係なく、女子主導で話が進められていく。その女子の中に、先ほどの藤澤が入っていて、いつもにもまして話す機会が多くなりそうなのは不幸中の幸いである。とは思うが、納得はもちろんしていない。

 ちなみに、女装百メートル走はタイムももちろん順位に影響するのだが、体育祭実行委員と教員代表による女装自体の出来への審査で加点され、最終的な順位が決定する。足が速いだけの奴が出てもそれだけでは一位になれるとは限らないわけだ。実にイロモノ競技らしい判断といえる。
 俺は人並みにベストタイムは十三秒台。運動部の速い奴が出てくればタイムでは負けるだろう。

「走りやすいアレンジ必要かな?」
「セーラーならそんなに走りにくいってこともないし、いいんじゃない?」

 女子たちが熱心に協議を重ねている間、藤澤をずっと見ていた。
 ハキハキとものを話して、でも普段そんなに発言が耳に入るというわけでもない。かわいくていいな。笑うと見える八重歯もポイントかな、とか思う。

 訳がわからない協議の末、俺には化粧まで施されるらしい。化粧なんてしたらどんな顔になるのやら、怖くて想像できない。
「俺、化粧まですんの?」
「するの。私が責任を持ってメイクするから」
 藤澤が断言する。そんないい笑顔で話さないでほしい。話している内容は最悪なのにドキドキしてしまう。
「そんなにごてごてとはしないから安心して」


 というようなことがあって、現在に至る。
 どう考えたって恥ずかしい姿を全校生徒に晒さなければいけない。こういうことをノリでやってのけられるキャラの奴はいいかもしれないが、俺の場合そうはならないだろう。

 確かに、準備期間中に化粧の試しと言って、藤澤に至近距離で見つめられながら顔を触られたり、服のサイズを合わせるために採寸をされたりと、正直ドキドキしたし、いい匂いだなぁ……とか思ったりもした。仲よくなれるチャンスだと思ったし、実際以前より話すことが多くなったが、それを差し引いて果たして、天秤はどちらに傾いているのかはわからない。

 きっかけはアレだけど、いい感じじゃね? タイミングを見計らって告ってみる? とか心の中では考えているが、今日はそれどころじゃない。一刻も早く終わってほしい。できるならば今からでも中止で、と願っている。
 蛇足だが、化粧をした俺の顔は意外と見れた。決して好きなタイプではないが。自分でもなんだかな……とは思うが、だからこそ、余計に遠慮したい。


 開会宣言、校長のあいさつと、ダルさ爆発の体育祭のプログラムが始まる。俺はこの後のことを考えると、ダルさを感じるどころではない。
 件《くだん》の女装百メートルは午後一番の種目だ。その次が、男装百メートル、綱引き、騎馬戦と続いて、最後が花形の四百メートルリレー走。リレー走は本気の競技なので、各クラスともに走りの速いメンバーを揃えてくる。ここをアンカーで活躍すれば人気も出るだろう。俺ももう少し走りが速ければ、女装を振り切ってこの競技への参加を希望していた。そして、藤澤《好きな子》にいいところを見せたい。これは男としては当たり前の感情だと思う。
 でも、そんなに人生うまくいかないよね、ということだ。


「えー!? そこまですんのかよ!」
 俺の声が教室内に響く。
 午前中の競技がつつがなく進み、昼休みになる前に、女装百メートルと男装百メートルに参加する男子女子は準備に余念がない。
 そう……、余念がない。
「だって、やっぱり、スネ毛が生えてちゃ、完璧な女装とは言えないって」
「特にニカちゃんの場合、中途半端だとかえっておかしい」
 脱毛テープを片手に女子が言う。
「あと、ワキも。隠れるとは思うけど、見えないところの身だしなみも大切だから」
「顔はファンデで大丈夫だけど、それ以外はねぇ」
 口々に話してくる女子の言葉が恐ろしい。なぜ体育祭でこんな目に遭わなければいけないのか。俺は何か悪いことをしたとでも言うのか。
「私がやろうか?」
 藤澤が言う。好意を寄せている女子に脱毛をしてもらうってどんなプレイよ、と心の中で叫ぶ。
「いや、それは遠慮する! それくらいなら自分でする」
「はい。それじゃ、よろしく。貼って三秒くらい擦りつけて剥がすだけだから」
 脱毛テープを渡される。こんなものを手にする日がくるとは予想だにしていなかった。
 女子の前で脱毛。本当にこれなんの刑。恥ずかしすぎるだろ。それならまだ、前日に家でコソコソ思い切ってやってしまった方がすっきりする。
 心の中で泣きながら、脱毛テープを使った。本当に心が折れる。剥がす瞬間の痛みもさることながら、何がショックかって、脱毛してキレイになった脚を見てちょっとうれしくなった自分にだ。悲喜こもごもとはこれかと思う。
 女子に合格をもらったあとは、流れるように藤澤たちが作業を進めてくれる。
 ファンデーション、チーク、アイメイク、口紅。眉毛の形まで整えられた。こんなことを女子は常にやってんのかと思うと怖い。だめ押しでテールのエクステとヘアピンまで付けられた。

「完璧」
「ニカちゃん……恐ろしいわ。想像以上ね」
 出来上がりを前に、女子の感想が飛び交う。もう許してくれ。
「胸にパットでも入れればもっと完璧になるけど……」
 それだけは断固としてお断りした。走るのに邪魔だという主張は一応認められた。藤澤が特に残念そうにしていたが、そこまで完璧に仕上げたいのか?

「さ、あとはお昼にして、直前に整えるから」
 藤澤がまとめる。
 この格好でメシか……と人生で初めての経験だな、と思いながら自嘲していると、
「ニカちゃんはお弁当?」
 藤澤が訊いてきた。
「え? そうだけど」
「それじゃ、一緒に食べない?」
「いいよ」
 二つ返事。今までけっこう話はしたけど、一緒に昼とかなかったから。
 藤澤と女装実行委員(と俺が今、名付けた)は、一緒にどこかでお昼にするのかと思ったら違うらしい。「ニカちゃんあとでねー」といいながら教室を出ていった。

「終わったか? メシにしようぜ」
 そこへ俺といつもツルんでる友人、瀬長徹《せながとおる》が入ってくる。
「って、和だよな?」
 余計な一言を付け加える。
「他の誰に見えるんだ?」
 いつもの丁々発止かと思ったが、藤澤が机を移動しようとしていたので、すかさず手伝う。
「藤澤も一緒に食うの?」
 徹も机を移動しながら口にする。
「ダメ?」
「いやあ、藤澤となら光栄ですよ」
 その言い方はなんだと思ったが、特に突っ込まなかった。
 囲んだ机に俺と藤澤ともに弁当を広げる。徹はコンビニで買ってきたパンだ。

「……お前、それ、ヤバいだろ」
「うるせ」
 俺の女装をまじまじと見ながらの言に間髪入れず返す。
「まるっきり女子じゃねぇか。館女にもぐり込んでも気づかれないぞ」
「だからうるせえっつーの」
「ダメだな。そのカッコなら、言葉遣いも丁寧にな。はしたないぞ」
 今の今までこの苦行に耐えてきた俺にそんなセリフを吐いてくる。
「おまえ、もう黙れ」
「本当だよ。ニカちゃん。言葉づかいは丁寧に」
 藤澤……。お前もか。
「この格好で言葉変えたら、まるっきりオカマじゃないか、嫌だよ」
「見えないから大丈夫だ。俺、お前に惚れていい?」
「それ以上言うな。ツレやめんぞ」
「でも、本当にかわいいよね。一位確実かな」
「別に一位になってもうれしくないよ」
 まったくやる気が沸かない。本気で走るのもこの格好では……。足がスースーするし。
「あ、一位になったらさ、なんかおごってあげる。ファミレスでもカラオケでも……」
「なに? 藤澤が?」
「うん。私が。元はといえば、私の責任もあるし」
 藤澤が弁当を食べながら話す。かわいいな。好きな子の言動はなんでもかわいいのだが。女子の弁当って異様に小さい気がするんだけどあんなので腹一杯になるんだろうか。
「俺は?」
 徹が関係ないのに言葉を挟んでくる。こいつには俺が藤澤のこと気になるって言ってるはずなんだから、絡むなら手助けしろよな。
「おまえは何もしてないだろ」
「お前を育てたのは俺だ。小さいころから面倒を見、ここまで育てた俺に感謝の気持ちはないのか?」
「おまえとは高校からの付き合いだろ。わけわかんないこと言うなよ」
「瀬長君も一緒に行く?」
 藤澤が笑いながら言う。
「ウソウソ。和は女の子に慣れてないから、ふたりっきりでつきあってあげて。その格好で行ったら? 少しはおしとやかになろうというもんだ」
「あ、それいいね」
 藤澤の目が輝く。なるほど。そこに落とし込むわけか。でも、このままの格好だと……。
「よくないって。女装《これ》は学校《ここ》だけで勘弁して。トップ目指すからさ」
「やる気でた? 頑張ってね」
 一位になるつもりなんてまったくなかったが、藤澤とデート(と言ってもいいよな)できるとなれば話は別だ。
 そのあとは、藤澤の趣味が洋裁だったり、俺の趣味であるバイクの話をしたりと盛り上がった。


 昼も終わり、いよいよ本日の正念場、女装百メートル競技が始まる。
 弁当を食ったあと、口紅が落ちかけているのを、藤澤が直してくれた。ついでに髪もセットし直してくれる。なんか至れり尽くせりだが女の格好だ。

 出場者の招集がかかり、集合場所へ移動する。もう腹は決まっている。いまさらジタバタはしない。ため息は出るが。
 しかし、そこはかなり異様な空間だ。
 明らかにノリで出ているのだろうというやつ、ほぼ無理やり選ばれたであろうやつから、本気すぎるだろというものまで様々だ。端から見れば、俺は本気の方に入れられるんだろうな。大変不本意だが。
 実際に「大谷か?」と先生からは驚かれ、「ニカちゃん大変身」と知っているやつからは冷やかされた。中には「写真撮らせてください」という下級生の声かけにもあった。

 出順は一年二年三年クラス順という分かりやすいものなので、俺の出番はもう少し先だ。
 柔軟体操をしながら、一年の様子を眺めるのも飽きてきた俺は、隣のクラスの立花を見つけ、声をかける。
「立花、だよな?」
 眼鏡に長い黒髪、メイド風のロングスカートという出立ち。普段のおとなしい感じはなく、メイクもアイラインが強調された目立つもので、街中で見かけたら他人の空似とスルーするところだ。
「疑問系で呼ばないで」
「悪い」
 さっきから俺も疑問系で呼ばれることが多かったが、意外なものを目撃すると疑問系になるのだ。
「大谷もすごいね」
「すごい?」
「うん。いつもはまじめなヤンキーって感じだけど、今は可憐なお嬢様って感じ」
 そんな評価初めて聞いたぞ。
「なんだよ、そのまじめなヤンキーって。意味わかんね」
「大谷って何か斜に構えてるところあるでしょ。そういうところよ。深い意味はないわ」
「っていうかさ、立花、なんで女口調なん?」
 気になったことを口にした。
「今は女の子だから。当然でしょ?」
 当然と言われても……。俺が答えあぐねていると、
「いつもと違う格好をしたら、いつもと違う自分を出したくなるじゃない?」
 付け加えて言う。
「いや……あんま思わんけど……」
 俺は思ったままを口にした。
「そこまで気合入ってるのに? すごく似合ってる」
 それは礼を言えばいいのか? いや、有り難くはないのだから礼を言ったら負けだ。
「似合っててもうれしくねえよ。それにこれはうちのクラスの女子の仕業だ。っていうか、もしかしてそれ自分でしたのか?」
「うん」
 即答か。だとしたら凄いな。俺の目からは完璧に見える。
「凄いな。学校《ここ》以外でそれ見たら、多分立花って気づかないぜ」
 それをそのまま口にした。
「そう? ありがとう」
 大谷はうれしそうだ。そういうやつもいるか、と思った。
「せっかく違う自分を表現できるのにもったいない。演劇をやってるつもりになれば面白いよ」
 そういうものか? まぁ、「カッコいい自分になりたい」と「かわいい自分になりたい」という気持ちは方向は違うけど同じものなのかもしれないとは思うけど。

 そろそろ一年の出番が終わって二年に回ってきそうだ。
 やはり異様に盛り上がっている。クラスのやつらや、その他、この競技に関係ないやつらは物見遊山でしかないからな。カメラで熱心に撮ってるやつも見かけるんだが、個人的に楽しむだけにしてくれと心底思う。
 藤澤に関しては視力が上がる俺は、目ざとく女装実行委員会とともにコースの近くによって熱心に何か話している様子を見つけた。
 こんな格好でも何故か藤澤は喜んでくれているみたいなので、目の前のエサに食らいつくしかない。


「そろそろかな」
 立花が言う。
「はぁ……。そうだな」
 それでもやはりため息は漏れる。
「二年A組からD組までの出場者はスタート地点まで来てください」
 伝令係が招集をかける。
「俺と立花は隣同士のレーンだよな」
「うん」
 立花と二人してスタート地点へと歩く。

「ニカちゃん頑張ってー!」
 表舞台へと近づくと、俺のクラスを中心に応援の声が上がる。何だかんだ言ってそういう声は嬉しくないといえばウソになる。一応礼儀として手を挙げて応える。

 全員がコースに立つと、レーンごとにアナウンスでクラスと名前が読み上げられる。
「C組、大谷和也君」
 他のやつらはポーズを取ったりなどしてパフォーマンスをしていたが、俺は普通の陸上競技よろしく手を挙げるだけにした。この間に、実行委員と教員代表がこのカッコの出来などを審査しているのだろうが、俺にはそこまでできない。タイムで勝負してやるという気概だ。
 深呼吸をしながら近いようで遠い百メートル先のゴールテープを見つめる。
 「格好なんて気にするな」と自分に言い聞かせる。そうしないと中々つらい。

 当然クラウチングスタートなどという百メートル走ではおなじみの格好などスカート姿の多いこの競技でできるはずもなく、それぞれがフリースタイルだ。俺も力を抜いてスタートラインの前に立つ。立花も隣のコースに立つが、こちらは完璧に女になりきって、内股で手を前にして立っている。この成りきりにはある意味感心する。

「位置について」
 スタートラインの横にいるスターターがピストルを構えた。
「用意」
 その声のまもなく、スターターピストルの音が響く。それと同時に、全員がゴールへと走り出す。
 声援の声を浴びながら、俺もゴールへ向かって一直線に駆ける。ほんの十数秒の時間が長く感じる。
 セーラー服で全速力など生まれて初めてのことだ。それは他も同じようでペースは遅い。足に布がまとわりつく感覚に戸惑いながらも、トップスピードに乗る。第一レーンのA組が頭一つ分リードしているが、六十メートル地点で追い越し、そのまま駆け抜け、前傾体勢のままゴールテープをくぐった。
 「おし。トップだ」
 と、上がる息を抑えながら後ろを向いた瞬間、立花の転倒を目撃する。

「立花!」
 次々とゴールテープをくぐるやつらを避けながら、とっさに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「痛てて……。いつもと違う走り方だとうまくいかないね」
 なんとか自力で起き上がりながら立花が言う。見ると、手と膝にケガをしている。
「つかまれ。救護まで連れてってやる」
 役員のやつらも近寄ってきたが、「俺が連れてく」というと、そのまま引き下がった。
「……お姫様抱っことかしてくれないの?」
 立花が言う。お姫様抱っこって何だっけ? 横抱きの事だっけ?
「は? 何言ってんの、おまえ」
「女の子相手だとそうならない?」
「おまえ、男だろ?」
 どこまで女子になりきってるんだ。大体相手が女子でもそんなことはしない。
「ほら、早くつかまれって」

 立花の肩を抱き、救護係のところまで連れて行くと、立花のクラスのやつらがいる。
「立花、大丈夫か?」
「うん。たいしたことないから大丈夫」
 この状態でも口調を変えない。
「とりあえず洗浄消毒するね」
 こういう行事の際には救護係へ派遣される校医の先生が、養護教諭に指示を出しながら言う。
 怪我もひどくはなさそうだし安心した俺は、グラウンドの方を見渡す。
 ちょうど、三年の出番になっているようだった。今頃、終わったという感慨が沸き上がる。
 そうとなれば一刻も早くこの格好から開放されたいのだが、そのためには藤澤たちを探さなければ。



「和。一位じゃん」
 肩に手を置いてきて話しかけてくるのは徹だった。観戦側からわざわざここまで来たのか。
「徹か……」
「クラスのやつら盛り上がってたぜ」
「それを言うためだけにここまで来たのか?」
「いや、立花は平気かなと」
 俺の肩ごしに治療を受けている立花を見やりながら軽く手を挙げる徹。
 それに対して立花も軽く手を挙げて応える。ただその手の挙げ方が、女の子のそれであるのだが。
 立花と徹はツレだったな。俺よりも長い。
「大丈夫みたいだけど」
「そうみたいだな」
 そういいながら、処置が終わり、その場に留まっている立花に近寄って何やら話している。
 話しながら、二人とも俺の方をチラチラと見てくるのが気になるが、いちいち気にするのも癪なので藤澤たちを探そうとしたら、
「ニカちゃーん」
 と言いながら、こっちに向かってくる藤澤と女装実行委員会の面々が見えた。
「おう」
 女子らが来る方へ俺も移動しながら答える。
「今のところトップだね」
「そうなん?」
 タイムは見てなかったが、まだ三年が残っているのでわからない。
「かなり速かったもん。女子の中だったら断トツなのにね」
 そりゃ、女子と比べられてもな……。
「それよりさ、これ、早く元に戻りたいんだけど」
 自分の服装を指さしながら、藤澤に言う。
「閉会までそのままでいいのに……」
 さらりと恐ろしいことを口にする藤澤。
「何言ってるんだよ。一刻も早く元のカッコに戻りたい」
「こんなにかわいいのにねー」
「ねー」
 女装実行委員の二人が声を合わせて言う。
 このままでは本当にこの格好のまま閉会までいることになりそうだが、足元のスースー具合も段々と慣れてきたし、自分の姿を鏡で見ることさえしなければ耐えられそうな気はする。
「入賞したらお立ち台だし、その格好の方がいいじゃない」
 藤澤が俺の近くまで回り込んできてのダメ押し。女の格好をしているからなのか、腕を絡ませてくる。これは……どういうつもりだ、藤澤。仲よくなったからって気軽にそういうことをしていいとでも思っているのか。少し胸が触れてやしませんか。
「おい……胸当たってる」
 俺は戸惑いながら言う。顔は赤くなってないと思うけど、触れられている場所が熱い。
「あ、ゴメン」
 少し離れたが、あいかわらず腕には触れたままだ。
「ニカちゃん、この格好だと気軽に触れるから……」
 俺、どんだけ女子と同じに見られてるんだ。客観的にみれば、どう見ても女子には見えないと思う。喉仏も出てるし、腕も筋張ってる。だがこれは俺から見ての客観性だ。もしかしたら他のやつにはそう見えていないのかもしれない。
「ニカちゃんと明里お似合いだよ」
「写メ撮ってあげる」
 俺は藤澤の手を振りほどくわけにもいかず(それ自体は嫌なわけがない)、写メを撮られてしまった。
「やった。メールで送って」
 この格好じゃなければ、俺にも送ってくれと言いそうになるがさすがにそれを言い出すのにはすべての関係があやふやに思われた。
 女装をしている自分。それを好意を寄せている女子に何やら好意的に受け止められて、周りからも持て囃される。高々、服装が変わるだけでこんなに変わるなどというのは、人がなぜ服を着るのかという理由づけと、擬態という言葉を連想させた。
「ニカちゃんもいる?」
「いらない」
 ここで「いる」と答えるのは自分のこの微妙な変化を受け入れることになる気がしてそう答えた。
「そっか。ニカちゃん、このカッコ好きじゃないんだもんね」
 気を悪くさせたかと思ったが、普通に納得したみたいだ。
 嫌悪して気分を悪くする程には嫌というわけでもないんだけど。肌の露出があるわけでもなし。

「あ、明里。そろそろ三年も終わるよ」
 その言葉にグラウンドを見やる。
 確かにそろそろ終わりそうだ。結局俺は自分のタイムも知らないし、今の順位がどうなっているのかも知らない。
「審査発表まだかな」
 楽しみそうに告げる藤澤に同意しそうになる自分につっこみを入れて、
「とりあえず早く終わってくれ」
 と、ウソではないが本音でもない本音を口に出す。


 結局、どうなったかというと、タイムでは三年のゴスロリを身にまとった先輩に負けてしまったが、その他の審査ポイントが加味されて一位になってしまった。
 自分から勝負に出たとはいえ、大変に不本意ではあるが、藤澤たちが喜んでいるのでプラスマイナスゼロで、ちょっとだけプラス寄り。
 ちなみに、ケガをしてタイムが出なかった立花が、審査ポイントだけで三位に食い込んでしまった。実に意味不明だ。この行事は「体育」祭ではないのかと思ったが、この盛り上がりようを見ると「祭」の方に主眼が置かれているのだろうと思うしかない。

 出場競技のあとの、男装百メートルや騎馬戦、リレー走で思いのほか、観戦に盛り上がってしまって、格好のことなど忘れかけていたとは、あれだけ嫌がっていた割りには情けない話だ。

「やったね。ニカちゃん。一位!」
 もうすでに観戦中から、藤澤は俺の横でずっとつかず離れずの位置にいる。そしてたまに抱きついてくる勢いでくっついてくる。今もそのような感じだ。
 しかも、他の女子にも気軽に抱きつかれる。普通ならなんてうらやましいと思うところだけど、これは男同士が気軽に抱きつくのと同じだろうな……と思うと、なんか虚しくなってくる。まぁ、本音を言えば、ちょっとは嬉しいんだけど、こんなことは藤澤に知られるわけにはいかない。
「やった!って喜べばいいのか?」
「そうそう。素直に喜ぼう!」
 最高にいい笑顔で喜んでくれるもんだから、こっちも笑顔になるしかない。
「この格好じゃなければな……」
「でも、ちょっとはうれしいでしょ?」
「まぁな」

 盛り上がるクラスのやつらを尻目に、競技終了後の表彰式を結局この格好のまま向えることになってしまった。

「ケガ、大丈夫か?」
 表彰台の横で、もちろん女装のままの立花に話しかける。
「うん。たいしたことない。一位おめでとう」
「……まぁ、サンキュー。おまえも記録なしで三位とかすげぇじゃん」
「ふふ。ありがとう」
 この立花の口調にはもう慣れてしまった。姿形に違和感がないからかもしれないが。
「徹とさ、大谷のこと話してたんだけど、それだけ走れるなら陸上部に入ればいいのにって」
「ああ……、そんなことか……。俺、運動部って性に合わないからな」
「だから、一匹狼っぽいんだね」
「は?」
 一匹狼とは、なんかカッコよさ気だけど、要はぼっち好きってことじゃないのか。俺は一人が好きなわけじゃない。
「女子にも言われてるよ。かわいいのにかっこいいってさ」
 かわいいのにかっこいい。復唱してみる。それは共存できるものなのか。よくわからない感覚だ。
「私、嫉妬しちゃうな」
 訝しげな顔の俺に、重ねられた言葉。嫉妬ってなんだ? 女装してる俺に嫉妬? それとも普段からそんなこと思われてるのか?
「なんだ、それ。立花も十分かわいいから、とでも言えば満足か?」
「うん。大谷にそう言ってもらえたらちょっと満足」
 よくわからない。立花の考えは。

 競技ごとに表彰が順に行われ、女装百メートルもお立ち台で表彰が行われる。
「ニカちゃーん!かわいい!」
「かわいいぞ!ニカ」
「もっとサービスしろ!ニカ」
 クラスメートだけではなく、それ以外からも何やらはやし立てる声が聞こえるが、おまえらにかわいい言われるためにやってんじゃねえよと心の中で毒づきながら、外面は崩さない。
 お立ち台に登って賞状を受け取る。これは賞状の中でも、ある意味なかなか貰うことができないものだろうな。こんなの部屋に飾ったりできないけど。

 ようやくやっと終わった……。これで、元の姿に戻ることができる。
 でも、やってみてわかったけど、これも服には違いないわけで、実用上問題があるとか、着心地が悪いとかそんなことはない。古代にはそもそも男女で服装に違いがあったとは聞かない。文化的に男女で装いに変化が生じた瞬間から意味をもったんだろう。そう思うと服装のアイデンティティなんて曖昧なものだなと思う。だからといってスカート姿になりたいかといえば、そんなことはないけど。


 教室へぞろぞろとほとんどのやつらが戻ると、何故か俺が元に戻るところをみんなが観察するという状態になった。
 藤澤が化粧落としをする間、主に男が感心した声をあげる。
「男のニカに戻った」
「メイクなしでもかわいい」
 などと、おまえらもやってみろ、違う自分が見れるぞと思ったが、目の前のニコニコする藤澤を見て溜飲を下げる。

 化粧を落とし終わり、ヘアピンとエクステを取り、いよいよ着替えの段になっても中々見ている連中が散らない。
「おまえら……、俺は今から着替えるんだぞ」
 と言っても、
「OK。男らしく脱げ」
「ニカちゃんの生着替え観察です」
 言い張って聞かない。こいつらは……。
 言い合っても埒があかないので、さっさと着替える。
「はい、ニカちゃん」
 藤澤が俺の服を順に手渡してくれる。藤澤が俺の着替えを見てるのもどうかと思うんだけど、脱毛処理まで見られてるからもういまさらか。
「なんか藤澤、ニカの彼女みたいだな」
 周りにいたやつの一人が言う。
「最近仲よすぎだよな。付き合ってんの?」
 さらに別のやつが言う。
「違うよ」
 そんな仲になれればいいなとは夢想するけど、告白までにも至っていない状態でそんなこと言うなよな。
「あ、でも、藤澤はまんざらでもないんじゃねぇの?」
 まだその話題ではやし立てる。デリケートな問題に踏み込んでくるなって。徐々に行こうと思ってんのによ。ここで否定されても肯定されても、どちらにしてもつらいじゃねぇか。こういうとき、徹がいればうまく捌いてくれんのにどこ行ってんだ。
「え? うん」
 それに対し藤澤は普通に答える。何? うん?
「おー!? これはカップル誕生か?」
「告白? 告白か?」
 にわかに盛り上がる周囲のやつら。
「ニカ、どうすんだよ」
「これは盛り上がってまいりました」
 盛り上がってねえ。こんな状況でホントの答えなんて言える訳ないだろ。
「どうもしねえよ。そういう話は藤澤とするから、これ以上詮索すんな」
「ニカ、つまんねぇやつ」
「ノリが悪いぞ」
 非難してくる男どもに、
「俺はやりたくもない格好をして、ここまでおまえらのノリに付き合ってやったんだ。これ以上付き合ってられるか」
 事を荒立てるのは俺の流儀ではないがこんなことにノリで答えられるか。

「何やってんの?」
 ここで、ようやく徹がのんびりと入ってきた。
「瀬長。藤崎とニカのカップル成立」
 なに出来事をはしょってんだよ。全然違うだろ。
「違うっつーの」
「もう、着替え終わったんだろ。帰ろうぜ」
 俺の口調とセリフで大体の事態を察したのか、たいして興味もなさそうに帰路を促す。
「なんだよ、つまんねえな」
「もう十分、和の女装は堪能したろ? オカズにはすんなよ。それは俺だけの特権だからな」
 おまえ、よりにもよって藤澤もいる前でなんて言うことを言うんだ。収拾してくれと願ったがこんな離れ業なやり方じゃなくてもいいだろう。
 しかし、「お前もなー」とか「そういうのは秘密にしとけよ」とか男どもにはウケたようだ。
 徹。おまえの気遣いはうれしくないとは言わないが、俺に変なトラウマを植えつけるような発言はしてくれるな。


 その場はなんとか納まり、残っていたやつらも「ニカ、またな」とか「女装またしてくれ」とか、不穏な別れ際のあいさつもあったが、気にしないことにした。
 それよりも、藤澤。この状況でも笑っている。もともと押しが強いなと思うこともあったけど。そういうところも嫌いじゃない。

「和、藤澤と一緒に帰るんだろ?」
 まばらになった教室内で徹が、さも当然というような口ぶりで問いかけてくる。
「一位になったんだから、とりあえず一緒に帰れば? 俺は立花と帰るからさ」
「え? う……え、と。どうする?」
「うん。よろこんで」
 やっぱ、さっきの言葉はその通りなのかな? もしそうなら早々に確認をしたいんですが……。どう訊けばいいんだ?

「和、しっかりな」
 余計な一言を付け加えて徹が去っていく。

 そして、藤澤と二人きり……。少し気まずい。
 内心ドキドキとワクワクが同居した気持ちのまま、ふたりきりで下校。
「ごめんな。男どもが調子こいたこと言って」
「ううん。面白かった」
「面白いか? すげぇ悪のりだぞ」
「男同士の会話だなって思って楽しかったよ」
「まぁ、気を悪くしてないならいいけどさ」
 つかず離れずの距離。今日は昼からずっとこんな感じの距離だけど、今は男の格好だ。何故かこっちの方が違和感を感じるなんて、女装ってのはヤバいもんだ。
「ねぇ、それより、どこか行く? 私が何か奢るって言い出したんだし……」
 その話か……。
「んー、あのさ……、このタイミングで蒸し返すのもアレなんだけどさ」
「何?」
「さっきの……、『うん』っていうのホント?」
 多少直球な質問かもしれなかったが、さっきの藤崎の言葉に意を強くしている俺は核心に迫る質問をした。
「うん」
 何のことか一瞬分からなかったらしく首を傾げたが、わかったという顔をして答える。
「ゴメンね。こんなこと人前で答えちゃって」
「いや! 俺こそ、突然ゴメン!」
 これは、もう言ってもいいよな。返事もらってるようなもんだし。

「俺、前から藤澤の事が好きなんだ。突然だけど、考えてくれないかな?」
「うん。いいよ」
「マジ!? 即答? やり!」
 帰って来た言葉が信じられないが事実だ。
 そして、込み上げてくるうれしい気持ち。思わず握り拳。
「……わたし、ニカちゃんのこと一年のときから気になってたもん」
「え? でも、藤澤と俺って一年ときは同じクラスじゃなかったよな?」
「うん。ちょうど去年の体育祭で、ニカちゃん、騎馬戦出てたでしょ?」
「ああ、軽いからって騎手にさせられた。っていうか、去年も女装させられそうになったぞ」
 忌ま忌ましい思い出がよみがえる。
「そうなの? それは惜しかったね」
「惜しいって……」
 去年、同じクラスじゃなくてよかったのかも。
「それで、その時も、今日みたいに可愛いのにカッコよかった」
 ……なんだか凄くむず痒い。
「いや……それは、どうも……」
 可愛いのにカッコいい……。俺は今まで、かわいいと言われることがコンプレックスだったけど、藤澤のおかげでそれは問題じゃないと思えてきた。

 確かに、女装は今でも別にやりたくはなかったけど、これがきっかけになったのは事実なんだから、こんなことってあるんだなと、夕焼けの秋空を彼女と一緒に帰りながら、少しだけありがたい気持ちになった。


 そして、つきあいだしてからわかったことだけど、彼女は自分で作った服でコスプレをしたりしてて、たまに俺に女装を要求してくる。
 彼女の部屋で彼女の用意した女物の服を着るなんて、客観的に見れば倒錯的だけれど、断ることができないのは、俺に女装癖があるなどと言うことではないことだけは断言しておきたい。好きな人の頼みごとは断れないだけだ。それだけだ。そう、それだけ。……多分。
 最近は、ブラまで付けて本格的になってきているけれど、それも気のせいだと言い聞かせている。妙に化粧にまで詳しくなってきたけど、それも気のせいだと思っている。

 来年の体育祭ではどんなことが起こるのか怖くて仕方がない。

《終》


関連エントリー
コメント投稿
投稿フォーム