眼下に広がる岸壁の海

お題:有名な死刑囚 必須要素:パチンコ玉 制限時間:4時間 文字数:1142字


「死んだ後ってどうなるんだろうな……」
 その男は独りごちた。

 どのような人間でも死は約束されている。
 いつ履行されるかがわからないから、暗闇の中を歩いているのにもかかわらず麻痺してしまって、今日も明日も笑顔で時には悲壮な顔で歩いているのだろう。

 パチンコ玉を考えてみる。
 パチンコ台から撃ちだされ、ポケットに入れば当たり、下に落ちてしまえばハズレ。
 その運命は打ち出しの速度、配置された釘、それらは運と呼ばれるもので左右される。

 当たり玉もハズレ玉も結局は景品などに変換され、使いまわされる。

 しかし、その玉は使いまわされることによって、当たり玉になったりハズレ玉になったりする。

 元に戻して、どうしてそんなことを考えるかといえば、「人間は考える葦である」と言ったパスカルが「人間は生まれながらの死刑囚である」と言ったことについてだ。
 人は「百余年のうちに死刑は執行される、しかしその方法は伝えない」という残酷な刑を受けてこの世に生を受ける。

 しかし考えてみれば、人だけがそうなのではない。生きとし生けるもの全てがその受刑者である。
 そのことを一度でも深く考えてみれば、死を人ごととしてしまう愚かさも思い浮かぶ。

 「死刑を美しい人生のサポート」などという愚者になりたくはない。
 しかし、考えてみれば、人ごとであれば簡単にそう言えてしまうのではないかという思いも否定出来ない。

 恐らくそのような人は、魂を一個の実体として認めているのであろう。生命は常に実体とともにあり、実体がなくなればその生命を認識する方法はないし、生命は掴んだり味わったりましてや操作することなどできないということを認めたくないのであろう。

 そのことを延々と考えたとしても、死んだあとに何かを残す手段がない以上、何をもってしても「死後を扱うこと」は戯言と言われても仕方のないことかもしれない。
 しかし、そのことを考える時間も余裕もないうちに死んでしまうのは不幸なのではないかと考える。

 幸いにして私はその時間を与えられている。「死刑囚」のうちでも恵まれていると言えるだろう。

 崖の上で眼下の岸壁を見つめられる時間というものだ。
 大きく息を吸い、一歩踏み出せばそれを実行できる。

 誰にも知られることなく、悲しまれることもなく、哀れまれることもない。幸せといっていいだろう。

 悲しまれる「死」とはなんと惨めなことだろう。
 昨日食べた「動物の生命」がどこから来たのかさえ考えない人に悲しまれる死とはなんと惨めなことだろう。

 記録はできないが、わかっていて欲しい。
 誰にも悲しまれたくはない。

 一息大きく息を吸い、私は大空へと飛び出した。


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